ファンキービートのパイオニアである伝説のドラマー
クライド・スタブルフィールド(Clyde Stubblefield )はジェームス・ブラウンのバンドで活躍した伝説のファンクドラマーです。
数々のファンクビートを生み出した彼の功績は計り知れません。
「ローリングストーン誌が選ぶ史上最も偉大な100人のドラマー」第6位。
クライド・スタブルフィールドのプロフィール
1943年4月18日生まれ
米国テネシー州チャタヌーガ出身
ジャンル:ファンク、R&B、ソウル
8歳の頃から打楽器を始め、10代のうちからプロとして活動を開始。1960年代初頭にはギタリストのエディ・カークランドと共演。
そして1965年、ジェームス・ブラウンのバンドに加入。同時期に加入したドラマー「ジョン”ジャボ”スタークス」と共に一時代を築きます。
この時期、この2人のドラマーから生み出された数多くのビートは今日のファンク、ソウル、ヒップホップの礎となっており、2人の偉業は言葉では言い尽くせないほど偉大なものです。
その後もスティーブ・スキャッグス、ブーツィー・コリンズ、NEOなど様々アーティストと共演。ソロアルバムの発表や、”ジャボ”・スタークスと一緒に「Soul of The Funky Drummers」というドラム教則ビデオを出すなど精力的に活動しました。
そんな中、2009年に膀胱癌を患い、さらには肝臓透析が必要で多額の医療費に悩まされることになる。(国民皆保険のないアメリカの医療費はべらぼうに高い。)
そこで、スタブルフィールドを尊敬する音楽関係者たちは、寄付を募るプロジェクトを開始。多くの寄付金が集まり、改めてクライド・スタブルフィールドの偉大さが世に知れることとなりました。2016年に急逝したプリンスも80,000ドルもの寄付をしており、彼のドラムがいかに幅広く影響を与えていたかが分かります。
クライド・スタブルフィールドのプレイスタイル
今日のファンクビートの創始者の一人であるクライド・スタブルフィールドは、ジェーム・ブラウンのバンドで数多くの名演を残しました。
「コールド・スウェット」では2拍4拍で叩くスネアのバックビートをずらすことで、最高のファンクビート(スリップビート)を生み出しました。
「アイ・ガット・ザ・フィーリン」ではさらに複雑にしたフレーズで素晴らしい演奏を残しています。
また「ファンキードラマー」のドラムは、後にヒップホップの世界で最もサンプリングされたフレーズの一つで、Run-DMC、ビースティーボーイズ、パブリックエネミーなど錚々たるアーティストが使用している。クライド・スタブルフィールドがいなければ、多くのヒップホップの名曲は生まれていなかったかもしれません。
まさにファンク・オブ・ファンク。流れているだけで体が勝手に動きだすグルーブはいつまでも聞いていたくなります。
クライド・スタブルフィールド動画
「コールド・スウェット」の演奏。6:25〜あたりからはドラムソロが見れます。
教則ビデオから「コールド・スウェット」と「ファンキー・ドラマー」の解説。
「アイ・ガット・ザ・フィーリン」の音源。素晴らしすぎる演奏。
「ファンキー・ドラマー」の音源。全体のグルーブ感が堪りません。
教則ビデオより。豪華メンバーでの演奏。
>>次のドラマー➡︎『ミッキー・ハート〜グレイトフル・デッドのワールドスケールドラマー〜』
>>全ドラマー一覧はこちら➡︎『ドラマー一覧』