ソウル・ファンク・他ドラマー

ベニー・ベンジャミン〜Benny Benjamin〜

⬇︎写真代わりです。左下がベニー・ベンジャミンです。

モータウンを代表するR&Bドラマー

ベニー・ベンジャミンはモータウンのスタジオバンド「ファンクブラザーズ」の一員として活躍したドラマーです。
非常にファンキーで軽快なノリは世界中のミュージシャンに影響を与えました。
「ローリングストーン誌が選ぶ史上最も偉大な100人のドラマー」第11位

ベニー・ベンジャミンのプロフィール

1925年7月25日〜1969年4月20日(満43歳没)
アメリカ ミシガン州 デトロイト
ジャンル:R&B、ジャズ、

ウィリアム・ベニー・ベンジャミン、愛称は「パパ・ジータ」。
元々はビッグジャズバンドのドラマーとして活動していたが、1958年に「モータウンレコード」と契約して専属セッションドラマーとなります。
ベニー・ベンジャミンは世界中で大ヒットを連発したモータウンレコードの楽曲に大きく貢献し、アール・ヴァン・ダイク(ピアノ)、ジェームズ・ジェマーソン(ベース)らと共に「ファンクブラザーズ」と呼ばれました。

ベニーはモータウン社長のベリー・ゴーディに「ドラムはベニー・ベンジャミンでベースはジェームズ・ジェマーソンでないとレコーディングはしない」と言わしめるほどの信頼を勝ち得ています。
テンプテーションズ、シュープリームス、マーヴィン・ゲイなど多数の世界的アーティストのサポートを行います。
(実は、モータウンヒット曲の一部もしくは半分以上はファンクブラザーズが拠点にしていたデトロイトではなく、ロサンゼルスにて別のスタジオミュージシャンによって録音されたという説もありますが真相は闇の中です。)

また、ビートルズはモータウンの中でベニー・ベンジャミンのドラムスタイルを最も気に入ったという話も残っています。
このように今では高い評価を得ているベニー・ベンジャミンですが、当時は表舞台に出ることのない影武者のような存在で、給料も時給扱い。莫大な印税の恩恵を受けることも出来ませんでした
(さらに残念なことにクレジットに残ってないので、はっきりとベニーが叩いた曲として分かっているものは少ないのが現状です。)

過少評価受けていたベニーは酒に溺れ、泥酔で演奏がままならこともあるなどアルコール依存症ヘロイン中毒に苦しみます。
そして1969年、脳卒中にて帰らぬ人となってしまいました。43歳でした。

ベニー・ベンジャミンのプレイスタイル

ベニーはバディ・リッチやティト・プエンテ(ラテン)から影響を受けており、ジャズ、スイング、ラテンなどの要素をモータウンにもたらしました。
非常に陽気でダンサブルなグルーブを得意としており、世界中で黒人音楽が受け入れられる大きな要因の一つとなっています。
メトロノームよりも安定したテンポで同時にいくつものリズムを演奏することが出来たとも言われています。

また、ベースのジェームズ・ジェマーソンとの相性は抜群で数多くの名演を残しています。
そのいつまでも聞いていたくなるようなグルーブは、黒人独特の感性でしか表現できないものと言えるでしょう。

ベニー・ベンジャミンがいなければ、モータウンの音楽があれほどヒットすることは無かったかもしれません。
世界中で影響を与えたモータウン音楽がなければ、今日の音楽シーンは全く違ったものとなっていたでしょう。
ベニー・ベンジャミンが残した影響というのは計りしれません。

ベニー・ベンジャミンの動画


バレット・ストロングの曲での演奏です。


コントウアーズの曲での演奏です。


いわゆるモータウンのドラミングというとこのような感じになります。


フォートップスの曲。おそらくベニーの演奏です。モータウンの他のドラマーに比べると荒っぽくて元気がいい印象があります。


テンプテーションズの曲。これもおそらくベニーだと思われます。


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