笑顔の異次元ジャズドラマー
ジョー・ジョーンズ(Jo Jones)、通称パパジョーはスウィングジャズ時代の偉大なドラマーです。
笑顔でとてつもないテクニックを披露するパパジョーに多くのドラマーが影響を受けました。
パパ・ジョー・ジョーンズのプロフィール
1911年10月11日〜1985年9月3日(満73歳没)
米国イリノイ州シカゴ出身
ジャンル:ジャズ
本名:ジョナサン・デヴィッド・サミュエル・ジョーンズ。
カウント・ベイシー楽団での活躍が有名でカウント・ベイシー(ピアノ)、フレディ・グリーン(ギター)、ウォルター・ペイジ(ベース)と共に「オール・アメリカン・リズム・セクション」と呼ばれた。
後のフィリー・ジョー・ジョーンズと区別するために敬愛の意味を込めて「パパ」の愛称が付き「パパジョー」と言われています。
いつもニコニコと笑顔で演奏することから、とても柔和な性格が予想されるが、あるエピソードからは逆の顔を感じ取ることになる。
映画「セッション」の中の逸話にも出てきたが、かのチャーリー・パーカーが若き日にジャムセッションを行った時、そのひどい演奏に対してパパジョーがシンバルを投げつけたというものです。
このエピソードは我々が知るパパジョー像からは信じがたい話だが、やはり諸説あるよう。
最も有力な説は、チャーリー・パーカーがソロタイムをあまりに長く演りすぎていた為、何度かシンバルを鳴らして、終わることを促していたパパジョーだったが、パーカーがあまりに気づかず夢中になっていたので、シンバルを足元に投げて気付かせたというものです。
パパジョー自身はそれほど悪意が無かったようだが、パーカーは非常にショックを受け、この逸話に尾ひれが付くようになったようです。しかし、この件が後の偉大なパーカーを生む一つのきっかけにもなったようで、パパジョーはその点でもジャズ史における重要人物と言えるでしょう。
パパ・ジョー・ジョーンズは歴史上最も偉大なジャズドラマーの一人でありますが、晩年は非常に不遇な生活を送っていたそうです。
黒人差別の激しい時代に活躍していたパパジョーは、レコード会社の画策で一切の印税収入がなく、演奏が出来ない年齢になってからはとても貧しい生活を送っています。街中では自分が演奏したレコードが売っていても、自分はそれを聞くステレオさえ買えなかったそう。時代と社会に搾取されたパパジョー。何とも悲しい話ですが、パパジョーが残した功績は後のミュージシャン達によって永遠に残ることでしょう。
パパ・ジョー・ジョーンズのプレイスタイル
いつもニコニコしながら演奏するのですが、技術レベルはとんでもなく高く、難しい事を平然とした雰囲気でやってのけます。単にテクニックでいえば、ドラマー史上トップ10に入るといってもよいのではないでしょうか。
またリズムやグルーブが柔らかく優しいのが特徴的です。聞いていてとても心地よいリズムです。
当時はPA技術が発達しておりませんから、ドラマーというのは「いかに大きな音を出せるか」ということも大切だったはずですが、パパジョーの演奏は全くそれを感じさせません。
よく「柔」のドラムと言われますが、必要な音のみで構成されたドラムソロは「侘び寂び」のようなものさえ感じます。
また、ブラシ奏法にも長けておりハンドドラムでも素晴らしい演奏を行います。タップダンスも出来たそうで、何をやらせてもすごいミュージシャンです。
「全てのジャズドラマーはパパ・ジョー・ジョーンズを通っている」と言われており、間違いなく、今日のモダンジャズドラムの礎を築いた一人と言えるでしょう。
パパ・ジョー・ジョーンズの動画
ドラムソロ動画。ハンドテクニックから激しい演奏まで。ドラマーというものを超越しているかの演奏。
最初は見事なスインググルーブが聞けます。3:13〜からのタップとの掛け合いでは、何でもコピーするパパジョーに呆れて、ダンサーが笑ってしまっています。
キャラバンでの演奏。まさに柔のドラム。笑顔でこんな演奏ができるとは信じがたいです・・・。
こちらは音声のみですが、ブラシ演奏を聴く事ができます。ソロ部分は3:40〜。
パパジョーのレッスン風景など。優しげな雰囲気です。5:22〜からはすごいブラシ演奏が始まります。
最後にパパジョーの神業を存分にお楽しみください。
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