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アート・ブレイキー

photo credit: Heinrich Klaffs Giants of Jazz 1973 Dia0014 via photopin (license)

ドラマー

アート・ブレイキー〜Art Blakey〜

投稿日:2016年11月5日 更新日:

ジャズの伝道師(メッセンジャー)と呼ばれたドラマー

アート・ブレイキー(Art Blakey)はハードバップジャズドラマーとしてジャズの歴史を作った偉大な人物です。
今日のジャズはアート・ブレイキーなしでは存在しなかったと言っても過言ではないでしょう。

アート・ブレイキーのプロフィール

1919年10月11日〜1990年10月16日
米国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ出身
ジャンル:ジャズ

元々ピアニストであったアート・ブレイキーは、クラブ奏者時代に半ば無理やりドラムへと転向させられます。
しかし、そこでドラムに目覚めたアート・ブレイキーは苦労しながらもメキメキと腕をあげ、ビバップ、ハードバップジャズの中心人物となっていきます。
マイルス・デイビス、チャーリー・パーカーらと共演して成功をおさめ、1954年にはジャズ・メッセンジャーズを結成。
このジャズ・メッセンジャーズはアート・ブレイキーをリーダーとして、メンバーの入れ替わりを繰り返しながら活動していきます。
親分肌であったアート・ブレイキーは数々の若手をメンバーに起用。ジャズ奏者の登竜門としての一面も持ったバンドとなります。バンド出身者にはボビー・ティモンズ、ウェイン・ショーター、キース・ジャレット、ウィントン・マルサリス等々数え切れないほどのスタープレイヤーが名を連ねています。

また代表曲としてジャズ不朽の名曲「モーニン」があります。同名タイトルのアルバムでは大ヒットを記録し、名実ともにスターの仲間入り。
その後映画音楽も制作し、「危険な関係」などのサウンドトラックが日本で大ヒット。日本に「ファンキー・ブーム」といわれるジャズブームが訪れます。
そんな折、来日したアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの面々は大歓迎を受け、メンバーはその時に大変感激したそうです。
当時、まだ世界中で黒人差別が横行していた時代に、差別せずに一人の人間として扱ってくれた日本人に大変心を打たれ、アート・ブレイキーは大の親日家となってくれます。
その後何度も来日したり、一時期は日本人と結婚するなど日本との交流は盛んにおこなわれ、日本のジャズ界にも大きな影響を与えました。

アート・ブレイキーのプレイスタイル

非常にエネルギッシュバンド自体をコントロールする親分肌的に演奏が特徴です。他のメンバーを鼓舞するような激しい演奏で、プレイヤー達は即興演奏に磨きがかかります。
マイルス・デイヴィスとの「ディグ」は、ブレイキーのドラムに触発されたマイルス達の演奏でハードバップの幕開けとも言えるアルバムとなりました。
また激しいだけでなく繊細な演奏にも長け、見事なバンドコントロールを見せてくれます。

アフロキューバン・リズムをジャズに取り入れたことでも知られており「チュニジアの夜」や「キャラバン」も看板曲の一つです。
ドラムバトルでは無類の強さ(?)を誇り、異様なまでの雰囲気と音圧で他者を圧倒していたようです。
また「ナイアガラロール」と言われる滝のようなドラムロールはアート・ブレイキーのプレイの象徴となっています。

アート・ブレイキーの動画


名曲「モーニン」。2拍4拍でスネアを入れるロックスタイルのようなドラム。バッキングに徹している。


「チュニジアの夜」。情熱的なソロから始まり、終始熱い演奏が聴ける。


「キャラバン」。6:45〜のソロではマレットやルーディメンツなど多彩なテクニックが見れる。


1965年、46歳頃のドラムソロ。かなり激しいプレイです。


ジンジャー・ベイカーとのドラムバトル。異様な雰囲気に圧倒されます。ロールともストロークとも言えないような叩き方はものすごい迫力です。


「危険な関係」から名曲「ノー・プロブレム」(音のみ)。日本でジャズの大ブームを起きました。


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